全ての物事は一連のストーリーとして
螺旋状に繋がって・広がって
今がある

初めて筆者がイベントというものを取材したいと思ったのは3年前の「犬楽園フェスタ2022」だった。他のイベント同様マルシェももちろん楽しそうなのだが、このイベントを開催する一番の目的が「ペット防災」を広める事。災害時にペットがいる家庭ではどのように行動すればよいか、日ごろから何を準備してどんなしつけをしておくとよいか、そんな大事な情報を専門家の「授業」や愛犬と遊びながら学べるイベントだということを知り、とても興味が沸いたからだった。
取材当日、会場となる石巻の中瀬公園(石ノ森萬画館の隣の公園)に行くと受付はすでに長蛇の列になっていた。2018年から始めたこのイベントもコロナの影響でお休みを余儀なくされ、久々に開催したこの時が第3回目。屋外でのイベントだが殆どの人がまだマスクをしている状況だった。それでも愛犬家たちが真剣に授業を受けていたり楽しそうに買い物をしたりしている姿がとても印象的だった。
この時挨拶をした主催者のうちの一人、天野美紀さんは忙しい中インタビューに答えてくれた。東京で建築の仕事をしていたこと。2011年の震災時にボランティアとして何度も石巻を訪れていたこと。そして今は石巻で生活していることなど。宮城県内への移住者の多くがそうであるように天野さんもまた震災がきっかけとなり動き出した人のようだ。
それから3年。毎年イベントにお邪魔しているがいつも挨拶程度の会話しかしていなかった天野さんだが、今回はイベントのことではなく天野さん自身のことにフォーカスしたいと思いお話を伺った。
取材先に指定されたのは「かめハウス」。民泊をしている天野さんの自宅だ。1階は愛犬のおこげとゆずと共に暮らしている住居で2階はペットと一緒に泊まれる宿となっている。愛犬の2匹と暮らしてはいるが、女性一人で知らない人を自宅に泊めるなんて怖くないのかと思ったが、話を聞いているうちになんだか野暮な質問のような気がしてきて、自分の中で消化した。
挨拶も早々におさらいをするように天野さんの経歴を確認した。すると出された名刺が3枚。その内1枚は表裏で別の肩書になっていて、名刺がないパート仕事もあるので5つの顔を持っているということになる。いや、「犬楽園」イベントの代表である名刺はなったので、それを含めると計5つの顔になるだろう。
東京の建築事務所で働いていた天野さんは2010年4月、独立。それからまもなく1年という時に東日本大震災がおこった。あの時は東京もかなり揺れ、地盤沈下や建物の破損などの被害が出ていた。ガソリンは供給されず、電気も計画停電となり多くの会社が休業せざるおえなくなり、日常が消えた。しかしそれとは比べ物にならないほどの非日常が東北で、特に太平洋沿岸で起きていた。
そんな状況を知りじっとしていられなくなった人は多かったに違いない。天野さんもその中のひとりだった。
震災から2か月が経った頃、長年付き合いのある建築仲間と何かできないかと考えていた天野さんたちの元へ、石巻で川開き祭りをするという話が飛び込んできた。チリ地震の時も宮城県沖地震の時も、1度も中止しなかった由緒ある祭りだ。甚大な被害を受けてもなお、伝統を守ろうとする石巻の姿勢に打たれ、祭りの盛り上げに役立ててもらおうと天野さんたちはトレーラーハウスと共に石巻へやってきた。それが始まりだった。
その後も月2回ほど、仕事を調整しながら天野さんはボランティア活動をしに石巻を訪れた。独立したばかりの天野さんには石巻に通う費用を捻出するのが精いっぱいで毎回夜行バスでの移動だった。深夜に東京から出発したバスは翌早朝に石巻に到着する。がそんな早い時間にオープンしている店もなく、特に冬場は寒さに耐えながらまちが目覚め動き出すのを待つしかなかった。その頃は自分たちのような者を受け入れてくれる場所があったらいいのに、と漠然と考えていたそうだ。後に天野さんが寄稿した記事にはこのことを「他力本願で願っていた」と書かれている。

石巻に来始めた頃は旅館だったところに寝泊りさせてもらっていたが、その建物が津波被害の影響で半分解体することになり、その後はホテルを利用せざる負えなくなっていた。それでも何回も石巻に通ううちに建物に関する相談も受けるようになり、知り合いも増えてきた。そしてかめ七呉服店のご夫婦と出会い親切にも宿泊先を提供してくれるようになったのだった。
そこで食べさせてもらった朝食は特別な物は何もなかったに違いないが、感動する程美味しかったそうだ。そして普通に食べられている石巻の家庭料理が実は素晴らしくおいしいということを、誰かに伝えたいと考えるようになった。
翌年、東京の知人が川開き祭りにお店を出店して盛り上げたいと申し出てくれた。大歓迎の天野さんは他とは違う石巻らしい食材はないかと探し獣害を減らすために駆除されている牡鹿半島の鹿肉に出会う。そこでついに点と点がつながった。
「居場所」・「おいしい家庭料理」・「ジビエ」
繋がってしまったのだからもう他力本願ではいられない。繋いだものを自らつくろうと、築100年の建物をDIYで改装し、2013年4月、週末限定の「日和キッチン」をオープンさせた。ひとつの拠点ができた天野さん。そこで出会う人々や織りなす日常にもっと深く関わりたいという思いから、2014年9月石巻へ移住する。そして「日和キッチン」を起点に起業する人をサポートしながらまちににぎわいが戻るように力を注いだ。そして様々な出会いを生んでくれた「日和キッチン」はその役目を終え2016年に閉店。現在は同じ場所で天野さんの友人がカフェを営んでいるそうだ。
震災から3年が経ち、避難所生活していた人が復興住宅へと移動し始めた頃だった。それまで一緒に避難生活をしていたが、復興住宅で暮らすために愛犬を手放さなければならないという人が現れた。地震の時、まだ生後5か月のパピーだったその犬は留守番をしていて危うく津波に飲まれるところだったそうだ。
その話を聞いてそれまで犬を飼ったことがない天野さんが里親になると手を挙げた。
多くの愛犬家たちが運命を感じた犬をお迎えするのと同じように、きっと天野さんはその犬「おこげ」ちゃんと一緒に暮らす運命だったに違いない。
「日和キッチン」を通じて、知り合った二人の友人が、初めて犬を飼う天野さんに飼い方やしつけなど色々と教えてくれたそうだ。前の飼い主が愛情をもって育ててくれていたのに加え、二人のサポートがあったからだろう。おこげちゃんもその後天野家に来たゆずちゃんもとてもいい仔で現在は民泊「かめハウス」の看板犬となっている。

この民泊「かめハウス」は2018年、住宅宿泊事業法の施行と共に開業した。昭和の匂いがする日本家屋が喜ばれるのか、海外からの宿泊者も多いそうだ。もちろんペットと泊まれる宿ということで全国各地からもやってくる。ツールド東北の時期になると仲間同士で訪れる宿泊客で賑やかになるそうだ。
犬を飼うようになって旅行に行けなくなってしまったけど、全国各地、また海外からも宿泊に来てくれるので新しい人と知り合えてとても楽しいのだと教えてくれた。
客が帰った後の片付けとか掃除とか、大変じゃないかという言葉が出かけたがこれも野暮な質問だろう。面倒くささを超える喜びがそこにあるに違いない。そもそもこれだけバイタリティ溢れる人は面倒くさいという気持ちにならないかもしれないが。
また民泊開業と同じ年、「犬楽園フェスタ」が誕生した。犬を飼うことに協力的だった友人の一人がトリマー仲間とともにペット防災の講習会を開催していたのがきっかけだった。どんな災害が起きてもおかしくないこの状況で大切なペットと共に生き延びるために必要な知識。おこげを迎い入れたことで天野さんにはペット防災を真剣に考えなければならないという思いが生まれたのだ。そして実際に被害にあった者、また直後の被害状況を直視した者だからこそペット防災の大切さを今伝えなければならない、という思いと共に動き出したのだ。
6回目となる今年は場所を石巻南浜津波復興祈念公園に移し10月19日(日)に開催する。会場も広くなりさらにパワーアップしたイベントになりそうだ。

震災から14年。その間も全国で様々な災害が起こっておりいつ何時自分の住む地域に災害が起こるか分からない今日。ぜひ学びを持ち帰ることができるこのイベントに足を運んでみてほしい。
天野さんから最後に言われた「犬楽園フェスタ」で学んだことを自分たちのまちに持ち帰りペット防災を考えるということを伝播してほしいという言葉。まさに一人一人がスピーカーになることが急務なのかもしれない。
15年前、独立した建築家の天野さんは今のこの状況を想像さえしなかっただろう。それまでもきっといろいろとあったと思うが、この15年の目まぐるしい変化には及ばないのではないだろうか。思いついたら即行動してしまう性分と自己分析している天野さん。きっとこれからも天野さんの螺旋は多くの事を繋ぎながら更に大きく広がっていくに違いない。
(取材:NAOKO)
天野美紀(あまの・みき)
1978年生まれ、埼玉出身。20歳から東京の建築事務所に勤務し2010年独立。2014年石巻に移住し、現在は二級建築事務所A-MANO DESIGN代表の他、家いちば株式会社所属コンサルタント、株式会社さくら事務所所属ホームインスペクター、法律事務所パート事務員、犬と泊まれる石巻民泊 「かめハウス」 家主、「犬楽園フェスタ」主催共同代表として様々な顔を持つ。趣味のロードバイクは現在お休み中。愛犬はおこげとゆず。















