楽しい時間を過ごせているのは多くの人が関わってくれていたから
そのことに気づいた時会社を継ぐ決心がつきました
21歳の時である。まもなく大学を卒業し社会に出ていくというタイミングに差し掛かっていたが、特にやりたいことも見つからず少し霞がかかったような毎日を送っていた。実家の父は何十回も、いや、100を超えるくらいの勢いで、家業を継ぐのか継がぬのか、決断しろと言ってくる。兄弟は男4人。その長男であるがゆえ、子供の頃からお前は会社を継ぐのだと教えられてきた。だから大学では商学部に入りマーケティングや会計学など企業の経済活動について学んできた。それなりの準備はできている。だが父の会社を継ぐということが果たして自分の進むべき道なのか、答えを出せずに過ごしていた。
毎日が楽しかった。高校から地元宮城を離れていたが、たくさんの友達に囲まれて、学校も、ラグビーも、バイトも恋愛も全てがキラキラしていた。この楽しい毎日を社会人になっても続けるために自分はどんな仕事を選べばいいのか、全く見当もつかなかった。
「そんなある日、ふと、この楽しい毎日があるのは、自分がひとりで頑張ったからではないということに気が付いたのです。自分をこの環境に置いてくれたのは両親だし、今の生活ができるのは父の会社を支えてくれている50人の従業員がいるおかげ。そしてその従業員の家族、取り巻く大勢の人たちのおかげなのだと。そこに気づくと何となくつかえていた物がストンと腑に落ち、疑問もためらいもなく父の会社へ入社する決心がつきました」そう当時の事を話してくれたのが、『株式会社あいホーム』の現社長である伊藤謙さんだ。
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『株式会社あいホーム』は宮城を代表する工務店のひとつだ。創業は1959年。初めは建築材料の専門店『伊藤商会』としてスタートした。創業者は伊藤ふみさん。謙さんの祖母である。子供が学校から帰ってきた時に「おかえり」と言える環境で仕事がしたいと、大工をしていたふみさんの弟と共に自営業を始めた。実際は忙しすぎて子供との時間を大切にするどころの状態ではなかったがオイルショックを乗り越えて建設、不動産業へと業務を拡張していった。
そしてその働く母親の後ろ姿をみて育ち会社を継いだのが謙さんの父、伊藤耕さんである。
耕さんは住宅建設と不動産業取引を目的とする、『株式会社IBSハウジング』を設立。その後本格的な住宅事業に参入し、2008年社名を『株式会社あいホーム』に変更。リーマンショックや東日本大震災など大変な時を乗り越えて現在に至る。
会社を継ぐことを決めた謙さんは大学を卒業後、外から業界の事を学ぶため「丁稚奉公」に出たのだった。そしてその間祖父が亡くなった。祖父は学校の先生をしていたため、直接祖母の仕事に携わることはなかったが、葬式にはかなり多くの弔問客が訪れた。それを目の当たりにした謙さんは、祖母や父の偉大さに触れた。そしてたくさんの人が関わっているこの会社を自分がしっかりと引き継いでいこうと改めて決心したそうだ。
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丁稚奉公を終え、2009年に入社した謙さんが父親から会社を引き継いだのが2020年。36歳の時である。謙さんは東日本大震災での経験を踏まえ、さらにコロナという感染症の大流行の真っただ中において住宅業界におけるITとインターネットの活用を「逆境にいるときことチャンスなのだ」とばかりに徹底的に取り入れた。そしてその結果、思いとは裏腹に若い社員が次々と退職していくという事態に陥る。社内の空気は最悪。気づいた時には負のスパイラルに陥っていたのだ。謙さんは状況を回復させるために、社内だけではなく社外の人も巻き込んで独自の方法でコミュニケーションを図っていく。デジタル化も進行しつつ、アナログの良さも取り入れて今までとは違った方法で社内外との交流を果たし会社の血の巡りを良くしたのだ。この失敗からの学びに関しては伊藤謙著「工務店の劇的に進化する経営」と、前作の「地域No1工務店の『圧倒的に実践する』経営」(どちらも日本実業出版社)を読んでもらえればわかるだろう。
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会社のことを話している謙さんは社員のことを「メンバー」と呼ぶ。社長という立場の人がそう呼ぶのをあまり聞いたことがなかったので理由を聞いてみると「自分はワンピースという漫画が好きで、その影響からか僕は船長でいたいと考えているのです。大勢の人が乗っている船が『会社』で、それぞれの役割を果たしながらみんなでその船(会社)を動かしている。そんな風に思うので社員ではなくメンバーと言ってしまいます」と言う返事が返ってきた。現在社員は70名ほど。社長である謙さんは、自ら行動を起こすことで可能になったコミュニケーションを大事にし、メンバー一人一人の事を知る努力を怠らない。
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ところで本誌が時々あいホームの住宅展示場で撮影会を行っているのはご存じだろうか。そうなるきっかけは謙さんからのコンタクトだった。たまたまコメダ珈琲に置いてあったフリーマガジン「ARCHE!」を手に取り、犬の写真がたくさん掲載されているのを見て、そこに自分の知らない世界が広がっていることに興味を持ってくれたのだ。そして連絡をいただき、何度か交流するうちに撮影会をするようになった。更に愛犬と快適に暮らせる家を建てようという計画が持ち上がり「愛犬のための☆わがままハウス」と題して愛犬家たちの生の声を聞く座談会も行われた。そこで出た声を反映した家をあいホームが実際に建てるという計画は現在も進行中。これがうまくいけば、「愛犬のための家」が立ち並び、共有スペースにはドッグランがあるような、そんなドッグビレッジも作っていきたいと話してくれた。
さらに猫と暮らせる賃貸アパート「山猫荘(仮称)」の計画もあるそうだ。謙さん自身はペットを飼っていないので、実際に飼っているメンバーの話などを聞きながら、猫との暮らしの中での「大変さ」を、快適にする今までにないタイプの賃貸住宅を建てるそうだ。
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それぞれの計画には必ずメンバーも取引先のスタッフも実際に犬や猫を飼っている人を巻き込みながら進めていく。自分の知らない情報を楽しそうに「面白いですねー」と言いながら取り込んでいく謙さんはきっと何事においても見る目、聞く耳を最大限に活かせる人なのだろう。
中小企業にこそIT化が必要だと突き進み大きな落とし穴に落ちた経験を持つあいホームの3代目、伊藤謙社長は、逆境こそチャンスだとばかりに這い上がる。落ちた穴の深さよりも高く、落ちた穴の数よりも多く、チャンスをつかむ手を持つバイタリティーあふれる人なのだ。
(取材:NAOKO)
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株式会社あいホーム 代表取締役 伊藤謙
1984年宮城県加美町に生まれる。明治大学商学部卒業。高校、大学とラグビー部で活躍し、現在は毎朝4時に起きてトライアスロンのトレーニングに励むスポーツマン。2011年家業である工務店、株式会社あいホームに入社し2020年3代目社長に就任。最新の著書「工務店の劇的に進化する経営」では自身のトライアンドエラーを赤裸々に告白。休日は家族との時間を最優先にする2児の父親。