Moon River

第一話

パリ北駅

ひとり旅とは、突き詰めていくと単なる孤独の喜びではなく、その旅路でたくさんの懐かしい人物に会ったりする。読書なんかに似ているな、なんて思ったりもする。記憶の中で生きる人たちと、その街その街で一緒に旅をすることになる。

数年前の初夏、私はパリにいた。

パリといえばとにかく華やかなイメージで、ラフなボーダーシャツを上品に着こなす赤リップのパリジェンヌが闊歩しているんだろうなとありきたりな想像を繰り広げていた。

フランス人の友人がこう言った。
「行く前からそんなに期待しすぎるとパリ症候群になるよ」
“パリ症候群”だなんて冗談で言っているのかと思ったらしっかりwikipediaにも載っていた。つまりは、パリに憧れすぎた日本人が実際にパリにやってきてあまりの現実とのギャップに適応障害になってしまうことだ。

なんだか面白い。全ての夢が叶う美しき理想郷だなんて想像して行ったら、確かに打ちのめされてしまうのかもしれない。実際に、私はただのひとり旅で短い期間訪れただけの日本人だったが、思いの外美味しくないクロワッサンとコーヒー、写真と全く異なるオンボロホテルで夜中ネズミとご対面してすぐさま別のホテルに移る羽目になったりと、ユートピアだなんてお世辞でも言えない貴重な経験を数々させてもらった。

けれど、私はそれすら楽しかった。確かにこれが例えば友人や家族と来ていて、旅のプランなどしっかり組まれた旅行だったら少し面食らったかもしれない。私はそれらの一般的に考えたらあまり良くない出来事も込みでパリを心に刻んだ。

数日滞在したら次の行き先はロンドン。パリ北駅から海中列車で向かう。出発のパリ北駅まで、私は早起きして歩いて行きたくなった。スーツケースをガラガラ押しながら決して身軽ではない格好で歩き出す。
そよ風に揺れる街路樹の中、オープン前の高級ブティック店が並ぶ駅までの道を、周囲に注意しながらも鼻歌なんか歌いながら歩く私の足取りは軽かった。

木漏れ日と歴史的建造物たちが作る影とのコントラスト、聞き慣れない鳥の歌声、モーニングのカフェテラスからコーヒー豆の匂い、一歩路地に入ればゴミだらけの舗装の荒いストリート。その全てが美しく、心が震える瞬間だった。

そんな道中、街並みに似合わない廃棄物のベッドマットレスが突然道に放り出されている。近づくにつれ、そのマットレスの上に乗っているブランケットがモゾモゾと動くのが見えた。

「野良猫かな?」

横目で様子を見ながら通り過ぎると、それはなんと男女のカップルだった。 しかもおそらく同年代くらいの。何日もシャワーを浴びていなそうな服装と髪型で、ピッタリ寄り添いながら眠っていた。彫刻の様な美しい横顔とまつ毛に小さなキスをして、愛しそうな寝顔で。

ガラガラガラ…

私はいつの間にか大きくなっていたスーツケースの音で自分が早足になっていたと気付く。誰になんと言われたわけでもないのに、なんだか責められたような気分にすらなっている自分がいた。恐る恐る振り返ると、吹き抜ける追い風が私の髪をなびいた。

——欲しいものが全て手に入る日は来るの?
思わず神様に聴きたくなった。

憧れの街を自分の足で歩く高揚感と、とめどなく美しい朝のこの街と、ほんのちょっとのトゲがチクリと刺すような感情と、忘れられないパリをグルグルと感じているうちに、パリ北駅が見えてきた。

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azufeeling

1989年生まれ長野県出身。両親の影響で幼少期より洋楽を聴きピアノやドラムなど楽器に触れる。15歳でボーカルに転身、自ら作詞作曲を手がける。2016年:映画の主題歌を含むファーストアルバムでメジャーデビュー(AZUSA WATARI名義)。2018年:単身渡欧。語学を学びながら各地のアーティストとの交流を通じ制作活動に邁進。2019年秋 アーティストネームを渡梓(AZUSA WATARI)からazufeelingに改名。
web… https://linktr.ee/azufeeling
楽曲… https://music.apple.com/jp/artist/azufeeling/1484307116

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コメント

    • dddd
    • 2020年 10月 08日

    黄泉の国はその人が思い描く姿に映るとある映画で言っていた。その人の持つ瞳を通して見るパリはその人自身を通してどう映るのか。パリ症候群なんて言葉初めて知ったけど、そこに陥る人々の思い浮かべているパリはパリではないのか、真のパリはどこにあるのか。そんなことを考えながらふぃーるの紡いだ言葉の道を歩いた。ゆっくり。結論から述べれば、真のパリなんてなくて思い浮かべているパリも実際に食べ、歩き、触ったパリもパリで、その違い・ギャップを美と捉えられると一人旅から孤独が姿を消すんだろうなって思う。孤独がなくなるという意味ではなく、孤独と旅路を共にするということなのかもしれない。ふぃーるから聞いていた出来事が随所にあって読んでて楽しかった。改めてふぃーるは素敵だなって思った。10、歳の離れた姉さんはこんなにも滲みる言葉を届けてくれる。
    「DESTINY 鎌倉ものがたり」より

    • azufeeling
    • 2020年 10月 08日

    きっと今まで沢山の映画を見てきたddddくんのコメント、詩的で美しくて、嬉しいです。 記念すべき初コメントをありがとう!@dddd

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