初めて仙台に来た時に
なぜか懐かしくてここに住みたいと思いました
それからずっとこのまちが好きなんです

ー 伊達藩陣中の砌(みぎり) 兵糧として腰にぶら下げ 薬食になされたそうな ー
これは以前販売していた牛たん太巻き寿司の箱に書かれていた一節。いかにも戦国時代から牛タンはパワーフードとして食されていたかのようだが、実はこれ、牛タン太巻き寿司を販売するにあたり、ある人が洒落を交えて作ったものなのだ。そして後にその人が起こした会社の名前の元になっている。
株式会社陣中。仙台の牛タン屋として広くその名を馳せているが意外にもレストランとしての営業は少ない。現時点では仙台空港の中に1店舗あるだけだ。他に仙台駅と空港に直営店を構えており、どちらかというと観光客をターゲットにしているイメージだろうか。もしかしたら地元よりも県外の人の方が「陣中」という名をよく知っているのかもしれない。全国的に有名になったのは「牛タン仙台ラー油」の存在が大きいだろう。
2009年桃屋が調味料であったラー油を「食べる」調味料として売り出したのがきっかけでその後「食べるラー油」ブームが爆発する。それにあやかりたいと各社が独自のラー油を作りだしていく中、陣中でも牛タンをふんだんに使った「牛タン仙台ラー油」を販売した。販売してすぐに売れたわけではないが、それをコンサートで来仙したアイドルが口にし、テレビでその美味しさを伝えるとたちまち爆売れとなり一時は入手困難な商品となった。その後もロングセラーとなっているのはクセになる美味しさであることはもちろんのこと、サンドウィッチマンが地元の土産としていつもたくさん購入し、周りの人に勧めてくれている影響もかなりあるようだ。
2024年、株式会社陣中は名取市閖上に本社と工場を構えその広い敷地内にFACTORY GARDEN、FACTORY STAND、FACTORY SHOPを構えた。BBQができるFACTORY GARDENの敷地内には天候に左右されない大型のテント2張りとキャンプもできるオートサイトが大小30以上あり、いずれもペットと一緒に利用することが可能だ。敷地内にはドッグランもあり犬を連れたファミリーも多く訪れている。さらに牛タンを使用した犬用のおやつの開発まで始まった。皆さんがこれを読む頃には発売になっていることだろう。


敷地内にドックランを造ることも、牛タンで犬用のおやつを作ることも社員から出たアイディアだ。それを面白がり共にトライしていこうとする陣中のトップはいったいどんな人なのか。今回はその株式会社陣中の代表取締役社長、福山良爾氏にお話を伺った。
福山社長は熊本県出身の昭和33年生まれ。当時流行っていたという伝書鳩が飼いたくて、小学生の頃から新聞配達をして自分で鳩を購入。中学生になると学校に行く前の時間を利用して今度は近くの市場でアルバイトを始める。そこでは一生懸命さが評価されたのか、人懐っこく可愛がられるタイプだったからなのか、大人たちに交じって中学生でありながらセリを仕切るセリ人にまでなってしまう。高校では2年間通った後、校長先生に直談判してもらった高校2年生終了証を携えて故郷を離れ北九州へ移住する。きっかけはあるスポーツを極めるためだったのだが体を壊しその道は断念。中学生の頃のアルバイト経験があった市場で働きここでも市場の花形のセリ人となる。そしてもうひとつ、和食の店で働きながらフグの調理師免許を取得するなど、板前としての修業を重ね生計を立てていた。
26歳の時、北九州から大阪へ移り住む。朝の3時から豆腐屋で働き昼間は氷屋、夜は居酒屋で板前として働いた。その居酒屋に客として来ていた銀行の支店長が1日フル稼働でまじめに働く福山氏に声を掛けた。「自分で店を持たないか」
信頼を得たその支店長の銀行から融資を受け27歳で料亭のオーナーとなる。時はバブル期真っ只中。その勢いに乗って2軒目に居酒屋も始め、ここでも休むことなく働きながらたくさんの経験を積んでいった。
そんな福山氏が外の世界に興味を持ち1年かけて全国を旅したことがあった。色々な所へ行った中の1つに仙台があったのだが、初めて足を踏み入れた仙台はどこか懐かしく感じたそうだ。生まれ育った故郷に町の雰囲気が似ている。熊本市は「森の都」。仙台市は「杜の都」。そんな共通点もあいまって福山氏は仙台が好きになり、大阪から仙台に移住する。そして泉区で「なにわ」という店を構えた。

人気店となった「なにわ」が手狭になったころ同じフロアに入っていた店が撤退。そこも借りて店を拡張しようと内装工事の見積もりを取ると1500万かかるといわれる。そこで業者に頼むことを諦め夜は包丁、昼間は工具を握りしめ、自分でこつこつと内装工事を始めた。建築に関する知識や技術は高校生止まりだったがなんとか4か月で仕上げ、その後も少しずつ拡張し、最終的には80人もの人が入れる大きな店舗となった。
冒頭に出た牛タン太巻き寿司はこの頃考案したものだ。常連となっていた高速道路の支配人にお土産用に何か仙台らしい物を作ってほしいと頼まれてできたもので、箱に書いてあった一節が効いたのか、かなりの数を売り上げた。牛タンが売れると感じた福山氏は当時仙台駅などで売られていたお土産用の牛タンが薄いことに疑問を持つ。仙台の牛タンは分厚いのが一番の特徴で、店で食べる時は分厚いのにお土産で買って帰ったらペラペラだったなんて、そんな人をだますようなことはしたくない。
そう考えた福山氏は牛たん加工の会社を作った。現在当たり前に売られている分厚くて柔らかい仙台名物の牛タンを最初に世に出したのが、この福山氏が代表を務める株式会社陣中だったのだ。

今年67歳になるという福山社長は、酒もたばこも興味がなく、唯一の趣味がゴルフ。飲みに誘われても行かないが、ゴルフは喜んで参加する。そのせいか日焼けした顔が健康的で年齢を感じさせず、エネルギーに満ちた印象だ。ゴルフ以外の時は仕事に専念し朝は社員が来るよりも早く出社し、午後には精力的に外回りをするそうだ。だから社員は「社長を捕まえるのなら朝しかない!」と話してくれた。常に新しいアイディアを考え、その新しいことにトライし、形にすることが大好きだという。素材の色、味を活かして料理を作る職人気質が現れているのかもしれない。
創業して24年経つ今でも板前だった腕を活かし、新商品のレシピ開発には100%関わっているそうだ。自身でもこの100%関わっていることがブレない味を守るという意味での強みでもあるし、万が一自分がいなくなった時のことを考えると弱みでもあると感じているようだ。
福山社長の優しい笑顔を見ながら歴史を聞いていると、子どもの頃からたくさんの人に囲まれて、たくさんの人と関りを持ち、たくさんの人に好かれた人物だったのだろうと感じられた。
「今後は本社のあるここ名取市と一緒に、この地域に人が集まる環境を整え、観光にも力を注ぎ、本当の意味での復興を目指したい。陣中のこの場所をうまく活用してもらい賑わいのある楽しいまちづくりの一端を担えればと考えています」
福山社長は株式会社陣中の社員やその家族の事だけではなく、根差した名取市とも連携を図り今後の発展のために尽くしていこうと考えている。新たにトライする何かを見つけ、人が集まり笑顔が溢れるような、楽しくて面白い未来をきっと形作っていくのだろう。
(取材:NAOKO)
福山 良爾(ふくやま・りょうじ)
1958年生まれ。熊本県出身。17歳の時にあるスポーツを極めるために単身北九州へ。26歳で大阪へ移住し料亭と居魚屋のオーナーになる。旅行で訪れた仙台に故郷と同じ景色を感じ仙台へ移住。2001年会社を設立。2003年社名を株式会社陣中へ改名。24時間、365日仕事をしている代表取締役社長。唯一の趣味はゴルフ















