Moon River
第十五話
Call my name
初めて彼の楽曲を聴いたのは中学生の頃だった。部活に遅れそうな朝、忙しなく学校まで送ってくれた母の車の中でだった。
princeのアルバム「musicology」
おそらく人生で一番と言っていいほど影響を受け、今でも心の一番深いところにひかれている絨毯のような作品だ。中学時代は厳しい吹奏楽部の練習に励み、友人もそれなりにいて、楽しいこともあったけれど、正直あまりいい思い出はない。
思春期特有の漠然とした焦りや、周りと比べて自分の何が劣っているかを認識し出す独特の憂鬱の中に、例に漏れずもがく一人だった。きっと人は自分のキャパで処理しきれない出来事が起こると、感情のスイッチを勝手にオフにするのだろう。
下校時に下駄箱に行けば靴は無くなっていて、友人にバレないように上履きで帰った時も、毎朝山のように暴言の書かれた手紙が綺麗に折り畳まれてロッカーに入っていた時も、私はよく感情のスイッチをオフにしていた。
恥ずかしさやカッコ悪さで人に話せず、無かった事にして笑って過ごしていたが、今思えば、キッチンの三角コーナーに溜まる生ゴミのように、流しきれないヘドロのような物が少しずつ蓄積していったんだとも思う。
そんなやり場の無い感情は、両親や祖母への八つ当たりとなり、おぞましいほどの汚い言葉となって私の口から吐き出されていた。
その日の朝も、朝食を食べながら母と言い合いをし、「部活に遅れるから急いで」と急かされて乗り込んだ母のワゴンのダッシュボードに両足をのせた私は、何様かという態度で不機嫌に窓の外を眺めていた。
朝6時台の薄曇りの空に、一面に続く畑と埃っぽい臭いがして、「こんな田舎町、いつか絶対出てってやる」と強く思っていたのを覚えている。
そんな時にカーステレオから流れてきたのが “Call my name” だった。
美しいprinceの歌声は、私にはなぜか泣き声に聞こえた。もうすぐ花びらが落ちそうな花を優しく触るようなAメロに聴き入っていると、サビでバックの演奏とコーラスと共に厚みが増して、強い感情を訴えるような歌声へと変わる。
princeの中でも特に好きなCall my name、Do Me, baby、purple rainの3曲は、シンプルなコード回しだがその上でprinceが歌うと、起承転結を思わせる凄まじい表現力によって、まるで映画を一本見たような、地球の裏まで旅をしてきたかのような気分にさせてくれる。
なんにも無い田舎町でダサい制服を着て学校に行き、どうせ今日も冴えない思いをするんだとしても。
憂鬱の中で、princeの歌声が学校につくまでの15分間、私の代わりに泣いてくれた。
当時から何百回聴いたかわからない、この曲の歌詞の和訳を知ったのは随分とたった後だった。
今日、世界はどうかしてる
自由の地? 誰かがうそぶいた
もし僕らを盗聴できるのなら
皆はただ僕らが愛し合っていることを知るだけだよ
ちょっと嘲笑うかのような、情熱的な中に余裕さのあるこの部分の歌い方がとにかく好きだ。
現実を悲観したらキリがないけれど、「周りなんて関係ないくらいにまず自分自身の人生と恋に落ちろ」と言われたような気がして。
私の心の中のprinceが、妖艶で色気たっぷりの流し目でそう言った。
今朝、起き抜けに部屋でCall my nameをかけた。
今の私はもう好きな時に泣いて、心から笑える場所を探しに行ける。きっと少しだけ大人にもなった。
それでも私には、この曲が必要だ。
これから先もずっと。
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1989年生まれ長野県出身。両親の影響で幼少期より洋楽を聴きピアノやドラムなど楽器に触れる。15歳でボーカルに転身、自ら作詞作曲を手がける。2016年:映画の主題歌を含むファーストアルバムでメジャーデビュー(AZUSA WATARI名義)。2018年:単身渡欧。語学を学びながら各地のアーティストとの交流を通じ制作活動に邁進。2019年秋 アーティストネームを渡梓(AZUSA WATARI)からazufeelingに改名。
web… https://linktr.ee/azufeeling
楽曲… https://music.apple.com/jp/artist/azufeeling/1484307116
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