根源にあるのは「食」
食べることが好きな自分が食を通じてペットも人も幸せを感じられる
そんな大切な時間を共に育みたい
食品加工会社である株式会社カキヤの創業家に長男として生まれた菊地諒さん。子供の頃からバスケットボールと学業の両立という文武両道の充実した学生生活を送っていた。両親からは将来的には安定した職業である公務員になることを勧められていたのだが、三代目として家業を継ぐことを考えていた諒さんは経営学を学ぶために地元白石を離れ横浜の大学へ進学。
卒業後は中小企業を対象とした金融機関へ就職し最初の5年間は都内の本社で、その後は大阪支店で銀行員として働いた。当時のことを「様々な中小企業の社長を相手に事業や経営のサポートをしていくという仕事がとてもやりがいがあり、毎日が本当に楽しかった」と笑顔で話してくれた。実家の両親が会社を経営しているということが、クライアントとの距離を縮めていたのかもしれない。そんな充実した毎日を送っていた諒さんだが、親元を離れ10年の月日が経った頃、大阪支店へ異動となり海外展開含む新規事業開発に関わるもわずか一年で地元宮城へ帰ることを決意する。会社からは期待され新しいプロジェクトの話も持ち上がってきた矢先であるが、ずっと考えてきたことを実現するため家業を継ぐということと株式会社ぺこふるを創業するという道を選んだのだ。
そのころ食品加工業界は厳しい状況に置かれていた。温暖化の影響で特に魚介類の漁獲量は激減し、多くの水産加工会社がダメージを受けていた。家業の「カキヤ」も同様で、主力商品である鮭フレークの鮭や野菜などの仕入れが不安定になってきていた。そんな状況で息子が帰ってくるということに両親は反対した。継ぐことは考えず、今の安定した仕事を続けた方がいいと言ってくれた。しかし諒さんの気持ちは変わらず、東京勤務の時に結婚した奥さんとおなかの中の子供と一緒に宮城に戻ってきたのだった。家族と一緒に、それまで温めていた「新しい事業を展開する」という夢を携えて。

子供の頃、諒さんのそばには愛犬のランがいた。ラブラドールのランはいつも自分の話を聞いてくれる。
思春期になっても特に反抗期というものはなかったが、それでも親に言えない思いや妹にぶつけても仕方ないイライラをランが全て受け止めてくれていた。大好きだったランとのたくさんの思い出は今も消えずに残っているが、誕生日やクリスマスなどのイベントで自分たちは特別なご飯を食べているのに、ランには特別なご飯をあげた記憶が全くなかった。当時であれば犬には犬のごはんを「エサ」としてあげるのが当たり前だったかもしれないが、今やペットは家族同様。あの頃のランにも時々特別なおいしいご飯を味合わせてあげたかったという思いが深く心に残っていた。そんな諒さんが銀行員時代に海外旅行の際に覗いたニューヨークのスーパーマーケットの中に、ペットフードコーナーが広く設けられていたことに衝撃を受けた。リーチインケースの中にはそれまで見たことがなかった人間用のハムかソーセージのようなロール状のドッグフードが大量に陳列されている。米袋のような大きな袋に入った味気ないカリカリのドッグフードではなく種類が豊富にそろったおいしそうなウェットフード。日本ではあまり馴染みのない形状のドッグフードだが自分には残せなかった愛犬との「食事の思い出」づくりに、このロールフードを切り分けてお皿に盛るという絵がつながった。

それから銀行員をやりながらドッグフードについてあれこれ調べSNSを駆使して情報を集めた。信頼のおけそうな獣医師に片っ端からDMを送り、自分の思いとやりたいことを伝え返事を待つ。そうして出会ったたくさんの人の中からペット栄養管理士の資格を持つ獣医師と何度も何度もやり取りをし、自分の思い描くペットフードの原型ができてきた。そこから実際に商品として売れるようにするために、家業の食品加工のノウハウや経験を活かし、さらに原材料は「東北産」というこだわりを追加して試行錯誤しながら思い描いたロールフードの完成に近づいていった。
地元宮城に戻ってきた2023年4月、家業である株式会社カキヤに入社。専務として父親の仕事を手伝う傍ら同年6月、自身が代表となる「株式会社ぺこふる」を創業。それまで温めてきた愛犬との『大切な思い出』に欠かせないものとなるドッグフードの会社を立ち上げたのだ。
家業の食品加工会社の3代目として多くのことを学ぶことと、夢であった起業をするということ。そして愛犬ランとの思い出を別の形で取り戻すことに加え、自身の子供が生まれるというとても忙しく充実した日々がここから始まった。

ぺこふる最初の商品は「鶏肉」「馬肉」「鹿肉」の冷凍ロールフード3種だった。どれも東北産100%でネット販売がメインとなった。広く知ってもらうため、イベントなどに出店し、諒さん自ら商品のPRを行いつつ、飼い主から愛犬の食に関する悩みなど、多くの生の声を聞いた。そしてその声を元にさらに商品開発を進め、現在は冷凍の「羊肉」や冷蔵の「ビーフ」のロールフードのほか、細かくしていつも食べているドライフードにトッピングできる生ふりかけの「仙台牛タン」なども追加販売している。さらに2月には冷蔵のロールフード「チキン」と生ふりかけの「岩手県産雪っ子にんじん」「気仙沼産ヨシキリザメ」も販売するなどかなりラインナップが充実する。
「子供のこと、家庭のことは奥さんに任せっきりで…」と少し小さくなったように見えた諒さんだが、今年はさらにギアを上げていくようで、新たなドッグフードの商品開発を行うためのクラウドファンディングを昨年末から始めている。そこでは新商品の先行販売や本誌イベント「ペットフェス」で繋がった縁から、きのこマークでおなじみの「ベイビーフェイス」とのコラボ商品、松島にあるペットと泊まれる1棟貸しの宿「LEMO by Matsushima」とのコラボ宿泊プランなど様々な限定商品も用意した。

また、本誌に連載を持つ森のいぬねこ病院グループ院長の西原先生にも今後SNSなどを利用した情報発信やドッグフードの監修など様々な点で協力してもらうことになっているそうだ。そうして繋がった縁を大切に、様々な分野のペット関連企業と協力しながら、業界の、特に東北のペット業界全体の底上げを図っていきたいと考えている。そして宮城から全国へ「ぺこふる」という言葉が共通語になるように、さらに日本を飛び出して世界へ、「七五三」や「お中元」「お歳暮」などの日本文化とともに海外の愛犬家たちからも「ぺこふる」が選ばれるペットフードとなるように、頑張っていきたいと笑顔で話してくれた。きっとその眼にはニューヨークのスーパーマーケットに「ぺこふる」が並んでいるビジョンが見えているのだろう。

臆することなく人と接することができ、行動力がある菊地諒さん。次のステージはなんとスポーツエンタメの世界を考えているとのこと。特に自身が大学までやってきていたバスケットボールに興味があるようで、「食」と「バスケ」を融合させ多くの人に楽しんでもらえる「何か」をしていきたいと考えているそうだ。その「何か」の中にはチームオーナーという言葉も見え隠れした。「僕だったら国分町にスタジアムを設けて…」と楽しそうに話しているその様子に無邪気さを感じながらも、もともと持っている人柄に加え、多くのアイディアや知識などが話に現実味を帯びさせ引き込まれていく。突然出たスポーツエンタメの話に、「ぺこふるのキャラクターがチアリーダーとパフォーマンスをしているのを愛犬と食事しながら見ている姿」という稚拙な絵を思い浮かべながら、時間が許せばその話ももっと聞きたいと思わずにはいられなかった。
最後に、最終的なステージとなる夢を教えてくれた。それはペットフードでもなく、スポーツエンターテイメントでもなく、銀行員だったころの経験を活かし東北の中小企業の事業支援をしていきたいということだった。驚いた。やりたいことが多方面に広がっている。だがきっと根底では繋がっていて一つずつやり終えていくのではなく、最終的には家業のカキヤを含めてすべて同時進行で目標に向かっていくのだろう。そんな持久力のあるパワーを感じずにはいられなかった。(取材:NAOKO)
きくち・りょう 1994年生まれ 白石市出身
白石高校を卒業後、横浜国立大学経営学部に進学。家業を継ぐことを念頭に置いて勉学に励み卒業後は株式会社商工組合中央金庫へ就職。本店営業部へ配属され5年間勤務した後、大阪支店へ異動となり海外を含むビジネスコンテンツに関わるも、翌年2023年4月宮城へ戻り家業である株式会社カキヤへ転職。そのわずか2か月後、株式会社ぺこふるを創設。















